稲森康利先生の足跡
2021-11-22


2021年10月29日は稲森康利先生の七回忌です。演奏家として、教育者として稲森康利先生がたどられた足跡を振り返ってみました。

1934年10月18日生。静岡市出身。サックス奏者だった兄の影響で高校時代はいくつものバンドを掛け持ちし音楽びたりの日々だった。
東京芸術大学に入学。20代は東京、横浜を中心に演奏活動を行う。
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29才で平岡精二クインテットに参加し、フジテレビ小川宏ショーにレギュラー出演。内外の著名ミュージシャンと共演した。(写真:ハビー・マンとフルートで共演)

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ピアニスト&フルーティストとして帝国ホテル、オオクラ、ニューオータニなどで演奏。

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東京・西新宿超高層ビル群の先駆け京王プラザホテル(1971年完成)の初代ピアニストでもあった。

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ピエール・カルダンに招かれパリで演奏。ハーブ・オオタのアレンジャー、コンダクターとしてアメリカツアーに参加するなど活動の場を海外にも広げた。(写真:カルダンと)

40代より研究書、楽譜の執筆を始め、その数は120冊に及んだ。このころよりジャズ教育に力を注ぐ。
1991年、IAJE(国際ジャズ教育者協会)日本支部会長に就任。毎年1月にアメリカで開かれたIAJE国際大会に参加し、マーク・レビン、ジェイミー・エバーソルドなど著名なジャズ教育者と親交を深めた。
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(写真:マーク・レビンと)
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(写真:ジェイミー・エバーソルドと)

東京都渋谷区の稲森音楽教室において数多くの弟子を育てるとともに、東京、奈良、大阪、福岡など各地で講座を行った。
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稲森康利先生の七回忌に寄せて


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